投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助動画検索画像・ファイル<IMG><OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
  ファイル1
  ファイル2
  ファイル3
アップロード可能な形式(各1MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)

 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ] [ 検索 ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

[PR]   和歌山の求人・転職 住まい引越大阪 
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]

全150件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  |  《前のページ |  次のページ》 

FK その三の四

 投稿者:50谷口  投稿日:2006年 9月14日(木)18時39分13秒
  そうでした。「二人の夏」と勘違いでした〜。
マイクがあったかどうかは記憶にないですねぇ。研ちゃんの低音パートは記憶に残ってますね。
 

FK その二の四

 投稿者:50谷口  投稿日:2006年 9月14日(木)18時36分27秒
  DVD届きました。ちょっと見るの怖いですが。。岡本さんお疲れ様でした。

代打を頼まれた経緯は記憶にないですが、もらった譜面は市販の本のコピーであったと思います。
代打の経験は、「唐」というバンドでも経験があり、くしくも正木さんの代打でありました。共通していえるのは、どちらもイマイチの評価であったということですかな(笑)
まぁ、バンドとして合わせてないですからね(言い訳)。
 

FK その四

 投稿者:51佐藤  投稿日:2006年 9月14日(木)15時17分55秒
  定期演奏会後、渡辺さんが脱退。松田、古市、西村らも脱退を仄めかしていたため、松田邸にて佐藤が必死の説得を試み(泣きまねも駆使、最近は歳のせいかホントに泣く)、無事継続の同意を得た(松田邸騒動)。
1978年のFKは、金岡君がドラムになり春を迎える。

四月、森戸道路(漢字合ってます?)で、ばったり金村と出会う。フォークをやめて卓球部員になっていた彼を、佐藤は再び勧誘してしまった。金村君復帰。この事が、後に大変なことになるとは予想だにしなかった。

金村会長になる(えーっ)

そんでもって「二人の夏事件」が起こったのだ(ぐりさん、ここよ)。

この項つづく。
 

FK その三の三

 投稿者:51佐藤  投稿日:2006年 9月14日(木)13時18分0秒
  ぐりさん、「犬むご」とのコラボ話は78年の話ですよ。FKだけに、少しフライング気味でしたね(笑点かよ)。「恋の西武新宿線」は、サマコンの時とは仕様を変えて、ビーチボーイズの「Don't worry baby」とメドレーにし、新宿線は研ちゃんが、ドントは松田がリードヴォーカルを取ったのですわ。ぐりさんにもマイク無かったのかな。  

FK その二の三

 投稿者:51佐藤  投稿日:2006年 9月14日(木)13時04分27秒
  正木さんは、「すかんぴん」だけのヘルプだったのです。リハーサルに岡本が来れなかったのはバドの試合かなんかが原因ですね。僕はぐりさんが弾けるから頼んだのかと思い込んでました。譜面まで渡したって言うことは研ちゃんですかね。30年目にして初めて知りました。お礼も言ってなかったとしたら、誠に遺憾に存じます。  

FK その三の二

 投稿者:50谷口  投稿日:2006年 9月13日(水)12時34分46秒
  恋の西武新宿線は、確か「犬むご団?」とかいう珍名バンドがバックをやって、FKが全員ボーカル(コーラス)でオーディションにのぞみましたが、批判が多かったようで、本番はFKのみでの演奏でした。もちろん、私もコーラス要員でした。初めて本番でボーカルを取れるチャンスでしたが、そのチャンスは二度と来ませんでした。  

FKその二の二

 投稿者:50谷口  投稿日:2006年 9月13日(水)12時28分17秒
  サマコンのリハーサル(大学会館2Fだっけ)をするのに、岡本氏がダダをこねて?来ないので私が代打でやりました。そのときに正木さんがメンバーにいたの?彼女が代打でもよかったはずですが・・・?
レディマドンナの譜面をもらって家で練習して、リハにのぞみました。練習した割には、ピアノ演奏の評判はイマイチでしたが(笑)
 

FK その三

 投稿者:51佐藤  投稿日:2006年 9月13日(水)11時54分43秒
  サマコン後、岡本君がバドミントン専念のため脱退。フォーク在籍たったの三カ月で青少年に出るという運のいい奴でした(今は重要な出演者ですが)。研ちゃんの薦めにより西村君がリードギターに。
秋になり「上海ギャング団」「スランプショット」と改名を経た後、いよいよ「FK」に。
12月の定演にまたも一部のトップで出演することになりました。

佐藤(vo,gt,kb)松田(b,vo)古市(kb,vo)西村(vo,gt)研ちゃん(ds,vo)
金岡(per)角(per)谷口(pf)

てぃーんずぶるーす、雨は手のひらにいっぱい、あの時はどしゃぶり、恋の西武新宿線(beach boys ver.)、(もう一曲思い出せないな、最後の曲?)

このライヴの特徴は全員ヴォーカルを取るというコンセプトで、アンケートでこっぴどく書かれた記憶あり。古市さんの「第三ヴォーカル」命名もこの頃。ピアノは確かぐりさんだったと思うのですが。以外に増えず、13名。
 

FK その二

 投稿者:51佐藤  投稿日:2006年 9月12日(火)10時52分21秒
  音楽性の違いによりながお君が脱退(あまりの下手さに見切りをとの説も)。あけて1977年。研ちゃんの雀荘脱退宣言などもあり、新歓コンサートはアコースティック編成でキャンディーズなんぞをやってましたね。
そんでもって、無事研ちゃんも復帰。いよいよ初のサマコン出場メンバーは次のとおり。

佐藤(vo,gt)松田(b,cho)古市(kb,cho)研ちゃん(ds)岡本(vo,pf,gt)
正木さん(pf)金岡(per)西村(per)三浦(per)安川(per)

レディマドンナ、星くず、椰子の木の下で、恋の西武新宿線、すかんぴん

出番は得意の一部トップ。バンド名は、たぶん「流川オールスターズ」。パーカッションの皆さんは「雨玉リズムセクション」と名づけていたような気がします。この頃からすでに、FKの大所帯癖が出始めてますね。ここまでで11名。
 

FK その一

 投稿者:51佐藤  投稿日:2006年 9月11日(月)10時28分29秒
  暇なので書き込んで見ます。
福本さんが、サマコンの時に「FKにかかわった人って相当な人数になりますよね」って言ってたので数えてみましょう。

1976年、夏休み前後に結成し、定演のオーディションに出たメンバーが最初。
佐藤(vo,gt)松田(b,cho)古市(kb,cho)ながお(gt,vo)渡辺(研ちゃん,dr)
以上五名で、確か、氷雨月のスケッチ、星くずの2曲をやったと思います。

そして、落ちました。
バンド名は、まだFKを名乗る前で、確か「流川ゲイスターズ」(恥)。
言い訳をするなら、当時、大瀧詠一さんが好きで、彼のレーベル「Niagara」と、「nagarekawa」が似ていると、僕一人が思ってたんですわ。
 

以上は、新着順61番目から70番目までの記事です。 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  |  《前のページ |  次のページ》 
/15 


[PR]