|
|
日本の伝統芸能もある意味で、古来からアジアの国々との国際交流があっての産物とも言えますね。日本に初めて西洋音楽が伝来したのは、16世紀半ばにスペインの宣教師ザビエルが、キリスト教を伝えに来た時代だと言われております。しかし、西洋音楽が日本人に本格的に受容されるのは
幕末の黒船来航におけるペリー艦隊軍楽隊がきっかけとなりました。そしてドレミファソラシドを
初めて演奏したのが、長崎海軍伝習所の軍楽隊なのでした。所謂日本の西欧音楽の基礎は軍楽隊によって築かれたと言っても過言ではないのです。
明治初期の文明開化に伴い軍楽隊による洋楽演奏の需要も急増し、民間の「市中音楽隊」が出現するに至ります。そして明治も中頃になると企業や商品の宣伝広告や、サーカスや映画のアトラクションをもっぱらとする、あまりエリート的とは言えない楽隊が乱立しましたのです。
もともとの威厳に満ちた軍楽隊とは「似て非なる」「成り下がった」楽隊のことを人々は、
少なからず親しみを込めて「ジンタ」と呼んだのであります。
彼らしばしば和音を省いた「不完全なる私設の吹奏楽隊」だったり、見掛け倒しの調子っぱずれだったりして世の識者の眉を顰めさせたりしましたが、別の見方をいたしますと、彼らジンタの楽士たちは、輸入一辺倒だった洋楽器の演奏スタイルを「土着化」し、街路を行き交う人々の耳の好みに近付けて行った功労者だったのでした。
その後ジンタは無声映画の消滅やレコード歌謡、ラジオ歌謡の隆盛に伴い、より和洋折衷的なチンドン屋に取って代わられ、あるいは要素として吸収されて行くことになります。
その貴重な生き残りのジンタ・バンドが「北村大沢楽隊」なのです。
因みに「疾風怒涛!北村大沢楽隊」のCDのプロデュース兼共演はちんどん通信社の林幸次郎さんなのです。
↑の文章は随分以前、[<国際交流>から視えるジンタ・ミュージック]という自分の文章を元に書いてみました。その文献協力は大熊ワタルの<ジンタ・楽隊・チンドン>です。
|
|